経営層にメンタルヘルス対策への投資をどう説得するか?~メンタルヘルスと休職、退職の関連に関する最新エビデンス~

はじめに

企業で従業員のメンタルヘルス対策を進めている、人事担当者や産業医、保健師の方からよく聞く声として、「経営層が重要性を理解してくれない」、「会社が予算を付けてくれない」というのがあります。

企業がメンタルヘルス対策に投資することを躊躇してしまう理由としては、その投資対効果、「メンタルヘルス対策をすることが企業にとってプラスなのか?」という確固たる根拠がないことが考えられます。

弊社はこれまで顧客企業のストレスチェックや人事関連データ分析を通じてメンタルヘルス対策が企業の利益につながることを顧客企業に対して実証してきましたが、その成果は開示出来ません。そのため「これからメンタルヘルス対策に力を入れたいが、その根拠が欲しい」という企業の声に応えづらい状態でした。

2019年以降になり、日本人の大企業の従業員を対象として、メンタルヘルスと休職や退職との関連を実証的に示した学術研究成果が公表されており、それらをメンタルヘルス対策への根拠とすることが可能となってきました。

今回は、そうした学術研究成果のうちの2つをご紹介したいと思います。

メンタルヘルスと病気休職の関係

北里大学の堤先生を中心とした研究で2019年に公表された成果です。

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5799101/pdf/1348-9585-60-55.pdf

上記リンク先の論文は無料で内容が読むことが出来ますが、生存時間解析(Survival Analysis)という専門的な手法を用いていますので、ポイントを以下でなるべく平易に説明します。

研究の対象は金融関連の上場企業です。

2015年7月~8月にかけてストレスチェックを受検した従業員から既往歴等を理由として除外した14,686人(20-66歳)を1年間追跡し、その後の1か月以上の病気休職の発生が、ストレスチェック受検時の高ストレスか否かとの関連を調べています。

なお、生存時間解析という分析方法では、1か月以上の病気休職以外に従業員が追跡不能になる事象、たとえば退職や解雇等の発生の影響を考慮して、純粋に1か月以上の病気休職の発生までの時間を分析しています。

論文のポイントは本文中のFig.2に示されています。

この研究では男女別で解析が行われているため、Fig.2では男女に分けて図があります。

上の男性用(Male)で説明します。横軸がFollowed by monthとなっていますが、これはストレスチェックの受検時からの経過月数です。

縦軸は1か月以上の病気休職した従業員が発生するたびに上昇していくと考えて下さい。上の曲線が高ストレス(high-stress)に該当した従業員に対応する曲線、下の曲線が高ストレス者ではない従業員に対応する曲線です。
図を見ると、上の曲線と下の曲線の差が、経過月数が進むにつれて大きくなっていることが分かります。

まとめると、ストレスチェックで高ストレスに該当した人は、そうでない人に比べると、その後1か月以上の病気休職しやすいことが分かります。

従業員が病気休職した場合、当人が戦力から離脱してしまうことの影響はもちろん、他の従業員への業務引き継ぎ、管理職の対応負担、人事担当者の対応負担が発生します。

また、同じ部署内で休職者が発生したことが他の従業員のメンタルヘルスやモチベーションに悪い影響を及ぼしてしまう可能性もあります。

ストレスチェックの高ストレス者に適切に対応することで、そうした負担の発生を未然に防ぐことで、企業の利益に貢献することが出来ると考えられます。

メンタルヘルスと退職の関連

次は、同様にストレスチェックの高ストレスに該当した人がその後退職しやすいことを示した研究です。

こちらは、北里大学の可知先生らによる研究で2020年に公表された成果です。

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC7001282/

こちらもリンク先のの論文は無料で全文が読めます。

研究対象者は金融関連の企業。20歳~49歳の従業員です。
2012年の10月から11月にかけて実施されたストレスチェックを受検した従業員から病歴のある等の条件で除外した9,657人を、2016年の4月1日時点まで追跡した研究です。

上述の休職との関連を調べた研究と同様に生存時間解析という手法を用いて研究しています。これは、退職以外に従業員が追跡できなくなる事象の影響を考慮して純粋に退職の発生までの時間を分析するためです。

こちらの論文でも本文中のFig.2がポイントです。

男女に分けて解析を行っているため、男性(Male)と女性(Female)に対応する図があります。


上の男性用(Male)で説明します。横軸がTime(days)、これはストレスチェックの受検時からの経過日数です。

縦軸は退職する従業員が発生するたびに上昇していくと考えて下さい。上の曲線と下の曲線の差が、経過月数が進むにつれて大きくなっていることが分かります。

上の曲線(実線)が高ストレス(high-stress)なので、高ストレスに該当した人は、該当しない人(グラフでは点線)と比較して、その後退職しやすいことが分かります。

まとめると、ストレスチェックで高ストレスに該当した人は、そうでない人に比べてその後退職しやすいということです。

従業員が退職することでも、病気休職と同様に、戦力が失われることや、業務引き継ぎや人事担当者の負担の増加につながります。

特に若手中心に採用難が続く昨今においては、退職が相次ぐと採用関連コストの増加につながることも考えられます。ストレスチェックの高スレス者に適切に対処することで退職者の発生を防ぐことが出来れば、そうした負担増加を未然に防止することになり、企業の利益に貢献できると考えらます。

2つの研究からの示唆

以上で紹介した2つの研究から得られる示唆は、ストレスチェックを受けて高ストレスとなった人は、そうでない人と比較して、統計的にその後休職しやすい、あるいは退職しやすい集団であるということです。

ストレスチェックを受検した従業員のうち、誰が高ストレス者かを個別に知ることが可能なのは、実施者とその補助をする実施事務従事者に限られます。実施者や実施事務従事者が誰が高ストレス者かを本人の同意なく開示することは法的に禁止されています。

実施者となれるのは産業医、保健師、公認心理師といった一定の要件を満たす有資格者、実施事務従事者もベンダーの事務担当者等社外の人間に限られることが一般的です。

そのため、高ストレス者に対するアプローチとしては、主に産業医や保健師による個別対応と、人事担当者による組織対応に分けて考えることが適当です。

高ストレス者への対応

個別アプローチ

産業医や保健師といった実施者や実施事務から従業員にメールや電話で個別にアプローチ可能な場合は、高ストレス者に対して状況をヒアリングし、場合によっては面接指導を申し出るよう勧奨することが考えられます。

なお、ストレスチェック制度においては、医師による面接指導を申し出ることによって企業が高ストレス者を把握することになります。

従業員によっては、企業、人事担当者に自分が高ストレスであることを知られず相談したいというニーズを持っていることがあります。

その場合は、医師による面接指導ではなく、たとえば、健康管理室に来訪してもらい、産業医や保健師等との相談を勧奨することが考えられます。この場合は、にストレスチェック制度外の産業保健活動での相談となりますので、相談者本人の同意がなければ、企業側、人事担当者に相談の事実を知られることはありません。

組織アプローチ

上述したように企業側、人事担当者としては高ストレス者を個別に把握することが出来ません。しかし、企業が入手できる集団分析結果に高ストレス者の人数や比率が含まれていれば、それらを活用した組織単位でのアプローチが可能となります。

たとえば、特に高ストレス者比率が特に高い組織については、組織長に状況をヒアリングして、メンタルヘルス不調が疑われる従業員がいないか、モチベーションが下がっている従業員がいないか確認することが考えられます。

あるいは、高ストレス者比率が特に高い組織の管理職を対象にメンタルヘルス研修を実施することも考えられます。

その他の方法としては、高ストレス比率が平均以上の組織と平均未満の組織についてストレスチェックの組織分析結果を比較することも考えられます。高ストレス者比率の高い組織に特有の要因がないか探り、対策を検討することも有効です。

たとえば、高ストレス者比率が高い組織では残業時間が長いということであれば業務負担がメンタルヘルスに悪影響を及ぼしていることが分かりますので、人員配置の調整等を検討することが出来ます。

終わりに

ここまで、メンタルヘルスと病気休職や退職との関連について示した最新の研究成果、ストレスチェックの高ストレス者への個別アプローチと組織アプローチについて説明しました。

今回ご紹介した2つの論文の図(Fig.2)は高ストレス者とそれ以外の従業員のその後の病気休職や退職の発生状況の違いが視覚的に分かりやすくなっています。弊社の経験からも、若干言葉を補足することで、経営層にも、メンタルヘルスと休職や退職の関連が伝わる資料と言えます。

ぜひ、経営層へのメンタルヘルス対策の重要性の説得する際の資料としてご活用ください。

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