管理職の睡眠不足がハラスメントを招く?――科学が示す“セルフケアとコンプライアンス”の関連
<執筆者>
宮中 大介。はたらく人の健康づくりの研究者、株式会社ベターオプションズ代表取締役。行動科学とデータサイエンスを活用した人事・健康経営コンサルティング、メンタルヘルス関連サービスの開発支援に従事。大学にてワーク・エンゲイジメント、ウェルビーイングに関する研究教育にも携わっている。MPH(公衆衛生学修士)、慶應義塾大学総合政策学部特任助教、一般社団法人ココロバランス研究所理事、東京大学大学院医学系研究科(公共健康医学専攻)修了。
はじめに
ハラスメント防止研修では「言ってはいけない言葉」「叱り方のルール」など、行動面の指導が中心ですが、実はその“前提条件”として注目すべき要因があります。それは――管理職の睡眠です。今回は、アメリカの研究チーム(Barnesら, 2015)が発表した研究成果をももとに、管理職の睡眠がハラスメント防止に重要であることを解説します。
Barnes, C. M., Lucianetti, L., Bhave, D. P., & Christian, M. S. (2015). “You wouldn’t like me when I’m sleepy”: Leaders’ sleep, daily abusive supervision, and work unit engagement. Academy of Management Journal, 58(5), 1419–1437. https://doi.org/10.5465/amj.2013.1063
研究から何が分かったか?
この研究では、イタリアの様々な業種の組織に所属する管理職とその部下に調査を実施しています。 調査期間は2週間でそのうちの営業日に管理職に対しては就業開始、その部下に対して就業終了時に調査を実施しています。
管理職について日々の睡眠の質と長さ、自我消耗※、その部下に対しては管理職のハラスメント行動、ワーク・エンゲイジメントを調査票で評価しています。なお、ワーク・エンゲイジメントについては部署単位で平均を取っています。
※心理学では人間の自己制御力は日々の疲労やストレスにより減少し休養によって回復すると考えられている。

統計解析では、管理職の睡眠の長さ、質と、管理職の自我消耗、部下評価による管理職のハラスメント行動、部署のワーク・エンゲイジメントの関連が検討されました。その結果は、管理職の睡眠の質が悪いほど自我消耗の程度が大きく、自我消耗の程度が大木ほどハラスメント行動が多く、ハラスメント行動が多いと部署のワーク・エンゲイジメントが低いというものでした。
媒介分析という高度な手法によって、管理職の睡眠の質と管理職のハラスメント行動の関連が、自我消耗により媒介され、管理職の自我消耗と部署のワーク・エンゲイジメントの関連が管理職のハラスメント行動によって媒介されていることも分かりました。
つまり、管理職の睡眠の質が悪いことがハラスメントにつながり、結果として部下のチーム全体のワーク・エンゲイジメントが下がる可能性が示唆されているのです。
睡眠不足は「ハラスメントの引き金」になる
研究チームは、この現象を「自我枯渇(ego depletion)」理論で説明しています。人は睡眠によって心身のエネルギーを回復しますが、睡眠の質が悪いと、感情のコントロールや判断力を維持するための「心理的燃料」が枯渇してしまいます。つまり、寝不足の管理職は、自制心が弱まり、短気・攻撃的になりやすい状態にあるのです。
この状態では、部下の小さなミスに過剰反応したり、冷たい態度を取ったりと、普段なら抑えられる言動が表に出てしまいます。飲み会でのセクハラで管理職が懲戒処分を受ける事例が報道されることがありますが、その背後には、管理職の睡眠の質が悪かった可能性が示唆されます。
睡眠は「コンプライアンス対策」の一部
現在日本では管理職には部下に対するメンタルヘルスケア=ラインケアが求められ、管理職自身に対するセルフケア研修は後回しにされがちである一方で時節柄、一層のハラスメント防止が求められています。今回の研究結果を踏まえると管理職自身が睡眠不足の状態では、いくらハラスメント研修が徹底されようが管理職自身の感情制御の土台が揺らいでしまい、ハラスメントの予防につながらないと言えます。したがって、管理職の睡眠の質を高めること自体が、ハラスメント防止・コンプライアンス推進の実践的施策なのです。
管理職が今日からできるセルフケア
- 睡眠時間よりも「睡眠の質」を意識する
就寝前のスマホ・飲酒・カフェイン摂取を控える。 - 休養の「罪悪感」を手放す
管理職が率先して休む姿を見せることで、部下も休みやすい文化ができる。 - ストレス・疲労を「業務リスク」として管理する
体調不良や睡眠の乱れを放置せず、産業保健スタッフや上位者に共有する。特に中高年以降は男性もホルモン量の変化等で精神面の不調が表れやすくなるために不調を感じたら躊躇せずに産業保健スタッフや医療機関を受診する。
今回は最近の研究論文をもとに管理職の睡眠の質がハラスメント防止の起点となる可能性について解説しました。一見無関係と思われるセルフケア特に睡眠が最も身近なコンプライアンス教育であることをぜひ理解頂ければと思います。組織のリーダー自身の健康を守ることが、組織の健全性を守る第一歩なのです。
以 上