EAP・法人向けメンタルヘルスケア業界のSWOT分析②
はじめに
前回は、 EAP ・法人向けメンタルヘルスケア業界のスポット分析の結果のうち強み(Strengh)と弱み(Weakness)について解説しました。今回は 残りの2つである機会(Opportunity)と脅威(Threat)について解説したいと思います
機会(Opportunity)
人的資本経営の潮流
EAP・法人向け メンタルヘルスケア業界にとって機会の1つは 昨今の人的資本経営の潮流です。人的資本経営を一言で言えば、これまでは単なるコストと考えられていた人件費や従業員の健康管理に要する費用、研修費、オフィス賃料を人材価値を高めることで将来の企業価値を高めるための投資として捉える考え方です。
これまでストレスチェックサービスやカウンセリングサービス、あるいはメンタルヘルス研修は、法令遵守あるいは従業員の福利厚生を目的として実施されることが多く、一定の予算の範囲で導入され毎年ほぼ同じ予算で実施されることが通例です。人的資本経営の流れによって、ストレスチェックサービスやカウンセリングサービス、あるいはメンタルヘルス研修を人材価値の向上ひいては企業価値向上につながること形で強化することが出来れば、サービス価格を上げていくことも可能と考えられます。
ストレスチェック義務化範囲の拡大の可能性
機会の2つ目としては、ストレスチェックの義務化範囲の拡大の動きを挙げることが出来ます。先月から厚生労働省において「ストレスチェック制度等のメンタルヘルス対策に関する検討会」(https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_38890.html)が開始しています。検討会での論点としては 現状50名以上が義務化対象となっているところ50名未満の事業場にも実施を義務づけるかという点、現状は 努力義務にとどまっている集団分析及び職場環境改善を義務化するかという点が上がっています。仮にいずれかが義務化されると ストレスチェックサービスの顧客企業数が増加したり、追加のサービス導入が増えるためストレスチェックサービスを提供するEAP・法人向けメンタルヘルスケア企業には増収要因になると考えられます。
従業員の高齢化に伴う新たなニーズ
機会の3つ目としては、従業員の高齢化に伴う新たなニーズを挙げることが出来ます。従業員の高齢化に伴い、親の介護をしながらあるいは自身の罹患した病気を治療しながら働く人が増えていくと考えられます。特に介護と仕事の両立に関しては、経済産業省が「仕事と介護の両立支援に関する経営者向けガイドライン」(https://www.meti.go.jp/press/2023/03/20240326003/20240326003.html)を公開する等昨今注目が高まっています。EAP・メンタルヘルスケア企業は一般にメンタルヘルスの問題が発生した場合に相談するものと思われていますが、仕事と介護の両立に関する相談を受け付ける企業も多く存在します。今後、介護と仕事の両立に関する悩みを抱える従業員が増えることで、EAP・メンタルヘルスケア企業の提供するサービスに対するニーズも増加する可能性があります。
脅威(Threat)
人件費負担の増加
EAP ・法人向けメンタルヘルスケア業界にとって脅威の一つは、人件費の上昇です。ここでの人件費には社会保険料や研修費、福利厚生費も含めて考えています。
現在賃上げが大企業を中心に進み、中小企業にも波及しようとしています 。EAP ・法人向けメンタルヘルスケア業界もこの流れには逆らえず賃上げしないと優秀な人材を採用できない可能性が高くなります。<弱み(Weakness)>の分析でも述べましたが、現状職域でのカウンセリング経験を積める場がEAP ・法人向けメンタルヘルスケア業界に限られているため、カウンセラーは大幅に賃上げしなくても採用出来る可能性がありますが、それ以外の営業、システム開発、経理・人事といった職種は大幅に賃上げしないと人材採用が難しくなる可能性があります。
また別の動きとして厚生労働省がパート労働者等に社会保険の加入範囲を拡大する動きが見られます。EAP ・法人向けメンタルヘルスケア業界で慣習的にカウンセラーが契約社員やパートといった非正規雇用で働いていることが多いのですが、そういった労働者も社会保険に加入することにより、雇用主であるEAP ・法人向けメンタルヘルスケア事業者が負担する社会保険料が多くなります。
EAP ・法人向けメンタルヘルスケア業界は労働集約型の産業であるためこうした 人件費の上昇、社会保険料の増加が経営に及ぼすインパクトは極めて大きいと考えられます。
労働者人口の減少
脅威の2つ目は労働力人口の減少です。EAP・メンタルヘルスケア業界のサービスのうちカウンセリングとストレスチェックの価格は従業員数×一定の単価という方式で計算をされていることが多いため、企業で働く労働者数の減少はそのまま売り上げの減少につながります 。
内閣府の予測(https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r04/html/nd121110.html)によれば「少子高齢化の進行により、我が国の生産年齢人口(15~64歳)は1995年をピークに減少しており、2050年には5,275万人(2021年から29.2%減)に減少すると見込まれている」となっており、単純に企業で働く労働者数が3割近く減少し、カウンセリングとストレスチェックの単価が一定だとすると売上が3割近く減少してしまうことになります。
情報開示や品質確保のための負担の増加
最後に挙げる脅威としては、情報開示や品質確保のための負担の増加を挙げることが出来ます。現在経済産業省が主導してメンタルヘルスケアサービスの提供者と需要者(=企業)のマッチングプラットフォームの設立が検討されています。
メンタルヘルスケアサービス業界の育成を目的とし、需要者から見て適切なサービスを選択するための情報開示を促進するためのプラットフォームづくりが目的ですが、情報開示で求められる「サービスの期待される効果」、「期待される効果の根拠」、「専門家による品質担保」といった内容について現状で開示している事業者はほぼ皆無です。今後プラットフォームが具体化すると参加する事業者も多くなると思われますが、現状対応できていない情報開示のための態勢づくりが求められることになります。
終わりに
ここまでSWOT分析をEAP・メンタルヘルスケア業界に適用して、業界の強み、弱み、機会、脅威を解説しました。SWOT分析の活用方法としてはさらにクロスSWOT分析というものがあります。これは、強み・弱みを機会・脅威と組みわせることで、経営戦略を考える方法です。例えば、機会を生かして強みをさらに強化する、強みを生かして脅威の影響を最小化するといった形で考えます。EAP・メンタルヘルスケア業界の各社の今後の取り組みが期待されます。
<執筆者紹介>宮中 大介。はたらく人の健康づくりの研究者、株式会社ベターオプションズ代表取締役。行動科学とデータサイエンスを活用した人事・健康経営コンサルティング、メンタルヘルス関連サービスの開発支援に従事。大学にてワーク・エンゲイジメント、ウェルビーイングに関する研究教育にも携わっている。MPH(公衆衛生学修士)、慶應義塾大学総合政策学部特任助教、日本カスタマ―ハラスメント対応協会顧問、東京大学大学院医学系研究科(公共健康医学専攻)修了
以 上